マンガに見る囲碁と将棋の差。
うーむ、マウス操作ミスでネット将棋に負けたのがニュースになるのか…さすがは羽生。
…ふと思ったのだが、囲碁と将棋って、良く並べられるけど、ことマンガ(囲碁なら『ヒカルの碁』、将棋だと『月下の棋士』『しおんの王』『ハチワンダイバー』『三月のライオン』)においては大きな違いがあるな。特に名人クラスの棋士の扱いに。
『ヒカルの碁』の名人は塔矢名人。主人公のライバルであるアキラの良き父であり、初老で風格、人格ともに立派な人間。
一方、『月下の棋士』の名人、滝川はというと人殺し。
『しおんの王』の羽仁名人も人殺し。
『ハチワンダイバー』に名人は出ていないが、将棋の賭けの対象が『人生』とかだったりするし、一番穏やかな『三月のライオン』ですら、主人公の育ての親である棋士、幸田は将棋が全てで子供に愛情すらもてない人物。
…なんか、将棋指し=人格破綻者ってことになってませんかこれ。
いや、なんとなく理由に見当はつくのだが。
マンガで名人などを描こうと思うと、やはり普通の人とは明らかに違う何かを持っていないといけない。この人は別格、この人は並みの人間では及ばない、そういったものを説得力もって主張するためには、そういった要素が絶対に不可欠。
囲碁は、結構お年を召した方も第一線でいらっしゃる。実際、名人戦の挑戦者リーグの参加者などをみると、趙十段や陳九段など五十歳台である。
だから、囲碁は「他と違う何か」として「貫禄」とか「風格」とかを持ってきても何の違和感も無い。
しかし、将棋はピークが三十台。後半から徐々に力が衰えてきて、五十台になっても第一線、というのは殆ど不可能に近い。実際、名人挑戦権を今期争うA級棋士で四十歳以上なのは谷川九段ただ1人である。
だから「風格のある初老の男」などというのは名人として使えない。
結果、他の人に無い何か、として描かれる『何か』とは『天才と紙一重の狂気』になってしまうのだろう。
でもなあ。
あんまりだよなあ。
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